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京都地方裁判所 昭和63年(ワ)2666号 判決 1991年1月24日

原告

甲山A夫

外二名

原告ら訴訟代理人弁護士

浅野則明

被告

乙川B子

右訴訟代理人弁護士

猪野愈

主文

一  被告は、原告甲山A夫、同甲山C美各自に対し、金一〇万円及びこれに対する昭和六三年一一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告甲山A夫、同甲山C美のその余の請求及び原告甲山D雄の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告甲山A夫、同甲山C美と被告との間においては、同原告らに生じた費用の二分の一を被告の負担とし、その余を各自の負担とし、原告甲山D雄と被告との間においては全部同原告の負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  申立て

一  原告ら(請求の趣旨)

1  被告は、原告ら各自に対し、金五〇万円及びこれに対する昭和六三年一一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

二  被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

第二  主張及び認否

一  原告ら(請求原因)

1  原告甲山A夫の父亡甲山E郎は、戦前被告の祖父亡乙川F介から別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)の一部(別紙図面のうち「乙川家」と表示のある部分を除く部分。以下「本件占有部分」という。)を賃借し、戦後は原告A夫が被告からこれを賃借してきている。

2  原告A夫は、本件占有部分の南側道路に面した部分で洋服仕立販売業及びクリーニング取次店を営んでおり、その妻である同甲山C美は家事のかたわら右仕事の手伝いをしている。原告甲山D雄は右被告らの子であって、三人が同居している。

3  被告は、昭和六二年四月ころから、本件建物の中庭部分で雑種のシェパードの子犬の放し飼いを始めた。

4  右子犬は、以前に被告が飼っていた犬(マルチーズ)と違って、成長するにつれてその鳴き声が大きくなり、毎日吠え立てるので、原告らはうるさくて困った。

のみならず、被告は、子犬の小便や糞を垂れ流しにし、その後始末をほとんどしないで放置するため、中庭は糞が山盛りになって汚れ、強烈な悪臭が漂い、蛆や蝿が湧くようになった。

5  原告A夫は、被告に対して、右犬の鳴き声と糞の掃除について善処するように再三再四要求したが、被告はこれに全く耳を貸そうとせず、保健所係員の注意も無視し、右状況は昭和六三年一〇月ころまで続いた。

6  被告は、原告A夫に対し、昭和六二年三月二六日付けで娘が結婚することを理由に、賃貸借契約を解除する旨通知し、応じない場合は同年四月から月額三万円の賃料を一〇万円に増額する旨要求してきた。これに対して、同原告は、応じられない旨回答していた。

7  右事実からすれば、被告の前記行為は、社会通念を逸脱し、原告らに対する悪意に満ちた嫌がらせである。

8  その結果、原告A夫は、クリーニング業の顧客から悪臭について苦情を言われたり、嫌な顔をされたりする被害を被ったし、原告らは、日常生活が従前より著しく阻害され、肉体的・精神的に多大な損害を被った。これを慰謝するには、原告ら各自金五〇万円が相当である。

9  よって、原告らは各自被告に対し、不法行為による損害賠償として、金五〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和六三年一一月一六日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告(認否)

1  請求原因1については、本件占有部分のうち別紙図面の「中庭」及び「物干し場」を除く部分(以下「本件賃借部分」という。)が原告A夫の賃借部分である。その余の点は認める。

2  同2、3の事実は認める。

3  同4、5の事実は否認する。

原告A夫が右飼育犬について文句を盛んに言い出したのは昭和六二年夏ころからであるが、同六三年三月一五日保健所から係員が調査に来て、ドッグフードなら問題がなく、小便がにおうようであれば水を流せばよい、と述べた注意を被告が無視したことはない。

4  同6の事実は認める。

5  同7、8の主張は争う。本件は、未だ受忍限度を超えて違法性を認めるに至らないというべきである。

6  原告らは、被告が賃貸借契約解除の意思表示をしたことに対し、何ら問題にする程の事柄でもない犬の飼育を奇貨として、被告にいやがらせを続け、その挙げ句が昭和六三年九月の仮処分申請であり、被告が同年一〇月二六日に犬の飼育を廃止したところ、本訴に及ぶに至ったものである。

第三  証拠関係<省略>

理由

一請求原因1については、賃借部分の範囲を除いて当事者間に争いがない。本件占有部分中「中庭」及び「物干し場」部分は、別紙図面上本件建物の一部ではなく、被告の使用する建物一部と共通の敷地の一部と認められるから、原告A夫が排他的に使用収益できる賃借部分ではなく、本件賃借部分の使用に付随して必要に応じ部分的に被告と共同して使用できる場所にすぎないと解される。

二同2、3、6の各事実は当事者間に争いがない。

三<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

1  昭和五五年ころ、原告A夫は、被告から、ビル建設を理由に本件賃借部分の明渡しを求められ、断ったことがあった。

2  昭和五八年二月末ころ、原告C美が被告宅に同月分の家賃(三万円)を持参したが、被告から、本件建物を他に売り渡したことを理由に受領を拒絶され、原告A夫は、同月分の賃料から弁済供託を始めた。

3  被告の前記解約の申入れに関連した賃料増額請求に対抗して、原告A夫は、昭和六二年四月分の賃料から月額を三万三〇〇〇円として弁済供託をしている。

4  被告は、昭和四二年ころから約一三年間小型愛玩犬(マルチーズ)を中庭及び被告居住部分で飼育し、昭和五五年ころから約六か月間中型犬を中庭で飼育したことがあり、いずれも糞の始末は中庭でされたが、糞についても鳴き声についても、当時原告らから苦情の申入れはなかった。

5  原告A夫夫婦は、昭和五七年ころまで本件賃借部分の二階六畳間で寝起きしていたが、それ以降は一階の六畳間で寝起きするようになり、代わって原告D雄が二階で寝るようになった。

6  本件子犬(雑種のシェパード)は、以前の飼犬と違って、成長するにつれ鳴き声も大きく、夜中に鳴き続けることがあったり、原告方の訪問客に激しく吠え立てることがあったりして、隣家にも迷惑がかかるほどであったが、原告側の度々の苦情申入れに対して、被告は、騒音防止又は適切な対応策を取らなかった。

7  本件子犬は、成長するにつれ、以前の飼犬と比べて糞の排泄量も回数も多く、昭和六二年六月二四日ころから同六三年九月七日ころまでの間、中庭の原告ら居住部分に面した地上に所構わず毎日二回脱糞し、糞は被告によって直ちに除去されないことも多く、堆積して悪臭を放つこともしばしばで、蝿が発生したり臭気が原告ら居住部分の室内に漂ったりして、クリーニング店の来客に指摘されることもあった。

原告A夫は、度々被告に苦情を申し入れ、保健所に連絡して善処を求めたこともあったが、改善されなかった。

8  原告A夫は、昭和六二年七月ころ、被告と犬のことで大喧嘩をし、その後被告の娘の入浴中にガスの元栓を閉栓する嫌がらせ行為に及んだ。

9  原告A夫が本件紛争に関し昭和六三年九月当庁に申請した仮処分事件において、被告は、同年一〇月二六日、裁判所に対する上申書の中で、本件シェパード犬を他に譲り渡した旨報告するとともに、迷惑行為を謝罪し、今後庭等において犬を飼わないことを誓約した。

四一般家庭における飼犬の騒音(鳴き声)又は悪臭による近隣者に対する生活利益の侵害については、健全な社会通念に照らし、侵害の程度が一般人の社会生活上の受忍限度を超える場合に違法となるものと解すべきところ、通常家庭犬の飼育は、防犯目的の必要性の顕著な特段の場合を除き、副次的に防犯目的がある場合を含め、生活必需性が希薄である場合が多いから、受忍限度を狭く解すべき要因を含む反面、近隣住民間の立場、態様の相互性、互換性から、寛容・円満な人間関係の形成が要求される点において、受忍限度を広く解すべき要因の存在も否定できない。

前記事実関係を総合し、右判断基準に照らして考察するに、本件シェパード犬は被告にとって愛玩用に類する飼犬と認められ、その点で生活必需性は希薄であるから受忍限度は狭く解すべきであり、一方で、当事者間は賃貸人・賃借人の関係で、しかも戦前からの付合い関係にあり、かつ、同一建物内で密着して生活し合い、共同使用中の中庭における出来事を中心とすることを考えると、受忍限度は広く解すべきこととなるけれども、さきに認定した加害行為の態様からすれば、本件の場合、右後者の事情を考慮に入れても、被告の行為は、その結果から見て、社会生活上の受忍限度を超えるもので、違法となるものというべきである。

五したがって、被告は、本件犬の鳴き声による騒音、糞の放置による悪臭・蝿の発生の解消に真摯に努力しなかった飼犬飼育上の違法行為により、本件賃借部分に居住する原告らが受けた肉体的・精神的損害を賠償する義務がある。

ところで、本件賃借部分の一階で主として生活し、洋服店及びクリーニング店を経営し、中庭に面した部屋で寝起きする原告A夫及び同C美が肉体的・精神的損害を受けたことは明らかである。

しかしながら、原告D雄については、原告A夫夫婦の子であるというほかは、年齢、職業、生活内容、被害感情等一切主張立証がないばかりでなく、本件二階の中庭に面しない部屋で寝起きしていることが認められるのであるから、同原告の損害については認めるに足る証拠がないというほかない。

六そこで、原告A夫及び同C美の慰謝料額につき検討する。

前記事実関係からすれば、被告が本件加害行為の改善に消極的であった背景には、原告A夫に対する本件賃借部分の明渡し要求又は賃料増額要求が実現しないことによる顕在的又は潜在的な加害意欲が認められること、反面、以前の飼犬の場合には相互に円満に推移した事情、犬に関する口論には同原告に挑発的な言辞が見られること、同原告は被告に対して報復的な行為に出ていること、被告はすでに本件犬を他に譲り渡し、今後中庭で犬を飼育しないことを誓約していること、その他諸般の事情を考慮すれば、被告が原告A夫、同C美に支払うべき慰謝料額は、各金一〇万円とするのが相当である。その結果、被告は、同原告ら各自に対し、右金一〇万円及びこれに対する不法行為後である昭和六三年一一月一六日(訴状送達の翌日)から右支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。

七よって、原告A夫、同C美の被告に対する請求は、右限度で正当として認容し、その余を失当として棄却し、原告D雄の請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官堀口武彦)

別紙物件目録及び図面<省略>

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